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小夜の中山 ~ お元気ですか? ~ 大杉便り

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相談役の大杉寿雄(おおすぎ ひさお)です(笑)

皆さん、お元気にお過ごしでしょうか?

<小夜の中山>

3月中旬の平日、東京駅から東海道在来線を乗り継いで11時近く金谷駅に到着する。
前日の天気予報では寒冷前線が過ぎて今日は初夏並みの高温になるとのこと。
この駅は鉄道ファンにとっては垂涎の大井川鉄道の起点で下車旅行客は皆そちらに向かってゆく。

駅に隣接した観光案内所に入りルートマップをもらい赤鉛筆で要所をチェックしてもらう。
これから小夜の中山を中心に掛川駅に出る予定である。歌枕として名高いこの地をいつかは思っていたが本日実行の運びとなった。

まず案内図にある駅裏の長光寺の境内を除いてみる。”道のべの槿は馬に食はれけり”の芭蕉の句碑がある。
「野ざらし紀行」に集録。
芭蕉も東海道を旅した。

道路を横切って坂が急になって旧東海道となる。
既に日差し強く、ジャケツを脱いでサブサックに入れる。

金谷坂は江戸時代の石畳を市民のボランテイア活動で復元され、当時の雰囲気を偲ばせる観光スポットのひとつとなっている。
樹木に囲まれた坂を登りきって道路を少しゆくと諏訪原城跡を右に見る。

遊歩道の案内に従い一巡りする。
樹木の途切れた台地から眼下に大きく島田の街並みが広がっている。

ここで小休止としよう。

この山城は武田勝頼が戦国時代に遠江侵攻の拠点として築いたが、長篠の戦いで織田信長・徳川家康に敗北、家康が入城した。
まもなく廃城になったとされる。

現在は貴重な山城跡として国指定史跡になっている。

諏訪原城址をあとにやはり復元された石畳の菊川坂を下る。脇の山道の方が歩きやすい。
菊川の里に入る。

金谷と日坂間にあって53次宿には指定されていない小さい山里だが「太平記」に記された政争的出来事やいくつかの伝説が伝えられている。
ゆったりした里人をちらほら散見する

この集落を抜けて小夜の中山への急坂を上って行く。桜の開花にはまだ早い時期だが道野辺に一本の赤い桜のような花をつけた満開の樹があった。
数多い桜の種類のうちでもきっと早咲きの桜だろう。写真を取る。

坂を上りきるとこのルートの要とも言うべき久延寺がある。
この寺に関したエピソードをまとめて見ると、関が原の合戦の際に山内一豊がこの境内で家康をお茶でもてなした。
家康が植えたとされる五葉松がある。また芭蕉が41歳のときに江戸から故郷に向かった際にここを通過して句を作る。
”馬に寝て残夢月遠し茶の煙り”の句碑が立っている。

西行が越えてからさらに500年後のことである。そして”夜泣石”伝説がある。

昔ここを通りかかった女が盗賊に襲われ殺されてしまった。
女は臨月だったがお腹の子は助かって久延寺の和尚に無事育てられた。
子供は成長してこの盗賊を突き止め無事母の仇を討った。
めでたし、めでたし。

しかし一方母親の霊は傍らにあった丸石にのりうつってこの石から毎晩泣き声が聞こえたと言う。
その後通りかかった弘法大師がこれを聞いて読経すると泣き声は止んだとのこと。

ところで”夜泣石”はすこし離れた国道一号線脇の小高い丘にもあって、観光案内所の係りの言ではこちらが本物らしいが。
また本来の場所から移動されたことを示す”夜泣石跡”の立て札のある場所もあっていろいろな経緯があるようだ。
向かい側は小夜の中山公園になっており入り口にはかの有名な”年たけて また越ゆべしと思いきや 命なりけり 小夜の中山”の歌碑が立てられている。西行69歳のときに東大寺勧進のため再び越えて東に向かったときに詠んだものである。

旧東海道の面影を残す開けた道を日坂宿に向かう。周りは茶畑がのんびりと広がっている。
九十九折の下降となり最後は落ちる感じで日坂バイバスに交差する。
この坂は沓掛坂と呼ばれていて安藤広重の「東街道五拾三次」の日坂の絵面を改めて見ると”夜泣石”と呼ばれる巨石が描かれ誇張された坂道の角度が道の険しさを顕している。

日坂宿をルートに沿って一巡り、しかしそろそろ帰途の時間が気になってくる。
特に深い感興もないままにバス停に着き時刻を見ると数分前にいったばかり。

次の便までの長い待ち時間を耐えることは不可能と言うわけで国道一号線を掛川駅に向かって歩き出す、老いも若きも道路沿いに姿が見えず。
誰もいなくて方角を確認することもできず。

そういえば小生長飴(こそだてあめ)を売っている扇屋をうっかりみすごしたことを思う。
今日は営業していただろうか。

飛行機も、新幹線も、車も、自転車もない時代、人々はひたすらに歩いた。そう遠くない時代まで。

江戸時代は男子は1日平均10里(40km)を歩き、江戸から京まで約500kmを11泊12日で歩いたそうである。
二足歩行は人類の原点だと納得させて長く単調な道路をひたすら歩く。  

 4時過ぎに掛川駅に到着。掛川市内の見学は次回に譲ろう。    (2015年3月某日記、大杉)

大杉壽雄(Hisao Ohsugi)

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ビッキー伝説 ~ お元気ですか? ~ 大杉便り

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相談役の大杉寿雄(おおすぎ ひさお)です(笑)

皆さん、お元気にお過ごしでしょうか?

突然に寒くなったようです。早速ですが駄文エッセイを一献送付します。

<ビッキー伝説>

今年の夏も酷い暑さだった。

9月に入り青春18きっぷの最後の一枚をどう使うか最終利用日は10日。

日帰りの初めての山で軽いハイキングコースを想定して、山案内書や溜め込んだパンフレットをパラパラ眺める。

山梨県には’山梨百名山’が選定されていてその中の一つに高川山というのがある。
富士山を見るのに人気のあるスポットのようで この山を選んだ。

9月某日朝五時半ごろに家をでる。東京駅より中央線の快速高尾行きに乗車。
高尾駅で待ち合わせ中の普通甲府行きに乗り継ぐ。
車窓の左側には高畑山,倉岳山が右は扇山、

百蔵山、岩殿山など過去に訪れた山々がなつかしい。いずれも桜の花の季節だった。
9時近く、目的の初狩駅に到着。降車客は他に数名いたかどうか、通勤客のいない駅頭。

中央線のガードを潜って細い車道の坂道をゆく。
人気のない畦道、滝子山の山容が大きい。

山本周五郎に言及した古い案内板がある。(彼は初狩の出身) 熊注意の黄色い立看板がある。
こんな低い山郷にも冬眠用の木の実が不作の年は現れるのだろうか。

沢コースの林道をとるが流れは下のほうにあって見ることは出来ない。
林道をそれて山腹を登りだすと過日の連続した降雨で道は滑りやすく崩れている箇所もある。
湿度は高く、夏でも秋でもない曖昧な季節のなかのちょっと不快な歩行となる。
雨後であちこち各種類の新鮮なキノコが発生しているので目利きであればいいチャンスかも知れない。

女坂に続いて男坂と合流し歩き易くなり、雑木林を抜けて周辺がパット開けて頂上につく。
976Mの標示がある。

山の周辺はまずは晴れといってもいいが遠方はガスの様な雲のヴェールが掛かっている。

肝心の富士山は望めない。備え付けの方位盤による山座同定も似たような山容がぼんやりしていて頼りない。
明るい山頂はキアゲハ、クロアゲハ、ヒョウモン蝶類が羽を突き合わせて縄張りを主張している。
薄紫の萩にウラナミシジミが求蜜している。

     頂上や 羽打ち合いて 秋の蝶   (杉)

狭い頂は男女、5~6名の熟年パーテイと中年単独者の数名で程よく埋まる。
そういえば案内に記載のあったタマゴイワをみかけなっかたが、パーテイの中の昔のヤマガール(失礼!)の言では、
冬場でないと樹木に隠れていて山道からは見えないらしい。

コンビニで買ったムスビとサンドイッチで昼食とする。ゆっくりと休んで1時頃に下山を開始する。
富士はとうとう姿をみせなかった。

熟年者パーテイと前後しながら斜面をくだる。
なかに野草に詳しい人がいて指摘したものでコウヤホウキ、ママコナ、釣鐘ニンジンなどの名前を書き留める。
道の真ん中に彼らが停止している。

「お先に」といって追い越そうとすると「ちょっと待って下さい。今、仲間がお花を摘んでいますので」、
「ああそうですが。スミレなどいいですね」(と言って、しまったスミレは春だった。)

正面に九鬼山を置き、高川山を振り返りながら国道をとおり富士急田野倉駅に至る。

トーマス仕着せのイヴェント2両編成車両に乗ってJR大月駅に着く。
東京方面の列車待ちの間に駅構内でたぬきそばを食う。(そういえば前回もここでたぬきそばを食った。我が食に進歩
なし。せめて吉田うどん位は試せばよかった。)

高尾行きに乗る。未だ時間が充分あったので猿橋で途中下車。
以前から頭にあった日本3奇橋の一つ、’猿橋’にいって見ることにした。

駅前は数台のタクシーが客待ちをしているだけで人影は見えない。
近くに和菓子店があったのでガラス戸を引いて中に入る。 
しばらくして奥から眠たげな20代か或いはもっと若いかもしれない女性が出てきて無表情に猿橋への道を教える。
甲州街道の歩道を歩いて行く。

「すみません」といって後ろから追い越していったのは同じ年代位の旅の夫婦。
自分の脚力の衰えを感じてちょっと衝撃。

猿橋はこの辺りでは一番の観光地で大型バスからは車いすや杖頼りの観光客も混え下車してきた。
しばしの散策後同じ道を引き返す。

さるはしまんじゅうとやらを買うのを忘れたと思いながら駅の方に向かうと、先ほど道を聞いた店の看板に、この饅頭の名が書かれている。

再び中に入って声をかけると奥から同じ女性がやはり眠そうな表情で現れる。
ひょっとすると寝ているところを又起こしてしまったのかとちょっと心配になった。
猿橋駅からはタイミングよく特急快速というよく分からない命名の東京行きに乗って順調な帰宅となる。

追記:
あやうく’ビッキー’のことを忘れるところだった。
先ほどの高川山の頂上に戻ろう。

「どうしたんだろう、今日はビッキーいないわね」
と例のヤマガールさんはこうも独白。

「ビッキーて何なんですか?」
ビッキーはこの山に住んでいて登山者が来ると先頭に立って頂上まで案内する人気犬だという。

気になって後で調べてみるとある時捨てられたか、世間を嫌って逃げ出しこの山住みとなった

雌犬で首輪は着けられたまま。やがて登山者の前に現れて先導役をするようになった知る人ぞ知る存在であった。

登山者から食べ物を貰って命をつないできた。

人に危害を与えるかもしれないとのことで役所関係の係員が捕獲チームを組んで探したが、これを岩陰から見ていたビッキーはニヤリと笑いけして姿を見せなかった。つまり敵と味方をたちどころに見分ける賢い犬だったのだ。

ところが数年前に岩棚に寝そべっていたこの犬に声をかけたが人がいたがピクリともしない。更に近づいて見ると既に息はしていなかった。老衰による死だった。

と言うことはこのヤマガールさんは未だビッキーの死を知らなかったことになる。

その後死体は麓におろされ地元の寺に懇ろに埋葬され、立派な墓も作られた。

空気の澄んだ晴れた日はいつも富士山をじっと見つめていたという。
生前のビッキーの塒がどこにあったのかは誰も知らない。

(一部筆者の妄想もあるが大筋では間違いないと思われる。)

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蝉 ~ お元気ですか? ~ 大杉便り

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相談役の大杉寿雄(おおすぎ ひさお)です(笑)

皆さん、お元気にお過ごしでしょうか?

蝉 2012年 10月初旬寄稿

今年も昨年より更にあつくながい夏がつづきましたが、朝夕の涼しさでやっと秋になったかとほっとする一方、あの暑さがなつかしい感じもする。

8月の或る日、東海道在来線の日帰り利用で西に下り、多少の余裕をもって戻れる場所はないか、静岡や焼津まではいったことがあるのでその先の島田駅に決めて、特に目的もないがはじめての街なので出かけてみることにした。


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水無月の頃 ~ お元気ですか? ~ 大杉便り

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相談役の大杉寿雄(おおすぎ ひさお)です(笑)

皆さん、お元気にお過ごしでしょうか?

水無月の頃 6月某日

たちまち6月にはいりました。
先月の27日には関東地方は例年よりだいぶ早い入梅の宣言がありました。

被災地は大震災後の復旧が進まないどころか、連日のメデイアレポートでは次々にあらたな問題が発生しているようです。直接の被害者のみならず、遠くはなれて生活している人にとっても心理的な圧迫が強くなっています。


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新年のご挨拶 平成23年 ~ お元気ですか? ~ 大杉便り

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相談役の大杉寿雄(おおすぎ ひさお)です(笑)

皆さん、お元気にお過ごしでしょうか?

年頭のご挨拶

1月 1日

おくればせながら新年おめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。

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