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M253 全てを失っても残るもの ミッドナイトアイキドウ

久島自画像01
神衛 指導部の久島です。
文章作成リハビリ中です。
文体を変えて書いてます。

語りたい事は尽きない。お待たせしたかな?

私は合気道の指導をしているが、しかし本当に伝えたいのは、合気道そのものではない。


皆さんが、失敗、挫折、敗北、裏切りにあう、などをして、絶望し奈落の底に落ちてしまった時、もしかしたら「全てを失った」という気持ちになる事もあるだろう。

私が伝えいたのは、全てを失っても残るもの、である。

「僕はA先生の弟子なんだぞ。」
「俺はお前より先に養神館に入門した先輩なんだぞ。」
「俺はお前より上の段なんだぞ。」

私は武道の道場を運営(経営)しているので、武道指導をビジネスと捉えている。だから上の「なんだぞ」の例は、会員さんがステータスを感じる事として否定はしない。そうした事に魅力を感じて、その団体に入会したり、会員を継続していくビジネスモデルは、あってもいいだろう。

ただ、それは私とは違う価値観の人のビジネスだ。

段や級そのものには意味がある。しかし、段や級は目的ではなく、あくまでも技を覚えて一定の上達と理解があるかを計る目安の一つに過ぎない。そして型稽古の合気道において、段や級は格闘能力の目安となるものではない。

上の「なんだぞ」の例は、そもそも自分の外にあるものに依存しているに過ぎない。そして勝手な都合の良い思い込みである。そんなものは全てを失う時の真っ先に「最初からなかった」と気付くであろう。

言おう、段などどうでもいい。白帯の6級や5級の技を覚えるのにも相当な苦労をしている人が実際にいらっしゃる。持って生まれた神経細胞の特質などで、身体を動かす事が得意でない人もいる。

彼らが5級から4級に上がるのに、もしかしたら一般的な人が初段になる稽古量の数倍もの労力が必要になるかもしれない。

段位などにステータスを持つような人に、そうした人はどう見えるだろうか。多分、見下すだろう。

それがとんでもない話であるのは、もうお分かり頂けると思う。

人間は持って生まれた能力がある。自分の能力の現実を認め、自分の課題を考え、目標を設定し、決意して取り組む。そして、目標を達成する。失敗したら原因を考え、対策を講じ、再度チャレンジをする。

全てを失っても残るものは、そうした生き方からつくり上げられるものだ。何が残るのかは、人それぞれだろう。

何も残らない生き方は実際にある。この道場に通う人は、全てを失っても残るものがあるようにして貰いたい。

って、もう午前2時か。
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